「欲」を大切にする。
ある方から「毎日かあさん」というマンガを教えてもらい、気になっていたので買ってみた。
これ1つを買う事に色々な葛藤があった。
①買うか、買わないか。
「買うほど面白くなかったら…」、「また本棚の肥やしになったらもったいないな」、「Kindle版で買っても読まなかったらお金もったいない」...などとためらった。
でも、すごく気になって、「やっぱり読んでみたい!」、「買わず後悔するより、買ってに後悔した方が良い!」と思って買ってみることにした。
ここまで選択するのに一週間弱かかった。
②ネットor本屋、中古or新品、Kindle版or単行本
...色々選択肢が出てきたけど、迷っているうちに、無性に「今すぐ読みたい!」と言う気持ちになり、BOOKOFFは家から遠いので、本屋に走った。(Kindleという手もあったが、私は紙で読むのが今の所好きだと思った。)
本屋に行くと、
③単行本orお徳用(1+2巻)か
という思わぬ選択肢があったけど、お徳用で十分だと思ったし、いや、むしろお徳用の方が安いし、お徳用の方が良いと思い、お徳用にした。
家に帰り、家事の合間に読んだ。
「ぷっ」と笑えた。
めちゃめちゃ共感した。
中古の方が安いし、数百円、損したかもしれない。
でも、今日は一つ自分の欲求を叶えてあげることができた。
今は、変な我慢はしないようにしている。
自分の本当の「欲」や「好き」が何なのかを知りたい。
自分の本当の「欲」や「好き」をどんどん叶えていきたい。
「毎日かあさん」を買ったことがそれに繋がるかはわからないけど、一つ私の欲を叶えてみた。
コンプレックス表を書く。
コンプレックス表を書いてみた。
いつも通り、自己否定系の言葉が多く並んだ。
そんな中、まだ目をそらしてきたものが出てきた。
簡単に言うと、
「他人をバカにしていて、自分は本当はすごいんだ、と思っている」
という事。(下の写真の◯の部分)
これを見た世間体を重んじる自分が、
「うっわ、サイテー。あんた今度こそ友達いなくなるよ。」
と連呼しています。
とりあえず書いてみたけど、これからまだまだ出てきそうです(笑)
あー、私はこのイタさ達を
人に知られたくなくて、言い訳にして、
行動してこなかったり、
隠れてみたり、
他人に合わせてみたりして、生きてきたんだなー。
これからは、イタいからこそ、行動したい。
イタいからこそ、良くなりたい。
良くなって、
「私が私らしく、人生最高!!!」
と思って生きてみたい。
嫌いな自分を捨てる。
ここ数日、「今度こそお手上げかも。」と思った。
ここ半年、
色んなセミナーに行って、
すごいなと思っている人に会い、その方の話を聴き、
自己啓発や心理学の本をたくさん買ったり、
楽しそうな事を見つけてアロマや畑をやったり、
食べたいものは食べて、休みたいときは寝たり
...
試した。でも相変わらず自分嫌いな自分に嫌気がさした。
セミナーや本だって、もはや中毒だ。
しかも、本はほとんど読みもしないで飾ってあるだけだ。
自分の何が一番嫌いかって、考えてみた。
多分、「ムカついた時や違和感を感じた時に、自分の正直な気持ちを言って来なかった事」が嫌なのではないかと思う。
そして、心のどこかで、これからも「言わない」を選択してしまうかも、と恐れています。
ああ、こんな風に自己嫌悪に陥った時はどうするんだっけ...
そうだ、過去の自分と比べるんだった。
半年前、1年前、3年前、5年前、10年前...
うん、大丈夫。
少しずつ、少しずつだけど良くなっている。
少しずつ言えるようになってるし、ブログも公開してる。
大丈夫。
未来が心配なら、これからは「言う」を選択する決断をすればいい。
嫌いな自分を捨てるだけ。
よーし、決めたし、捨てたし。もうすぐ子供が帰ってくるし、一緒にまた絵具で遊ぼう!
本当の自分の声を聴く。
あいかわらず、今の自分では嫌だな、と思ってます。
なので、変わりたい、と思ってます。
「今のままで良いよ。」と言ってくれる人もいるけど、
やはり私はとても耐えられない。
なぜなら、まだまだ
劣等感を感じて落ち込む事がある。
他人が怖い。
本音がすぐに言えない。
のどの奥がつまってて苦しい。
こんな事を思う自分は
「贅沢なんじゃないか、
おかしいのではないか、
感謝が足りないのではないか」
と思っていましたが、もうそれはやめた。
今の自分から脱皮することが私の欲求です。
その欲求を叶えてあげられるのは、自分しかいない。
怒りだって出せるようになりたい。
360°気を使いながら生きたくない。
自然体でいたい。
心の底から笑いたい。
正直、自分がやりたい事しかしたくない。
もう十分、たぶん一生分、いじけたと思います。
これからは(も?)、そのいじけていた本当の自分の声に耳を傾け、少しずつでもいいから、その要望に応えていこうと思います。
そこ、頑張るぞー。
やめたら「いつか」は来ない。
ブログをまたまた書けない自分がいました。
気づきを書かなければ
良い事を書かなければ
あまり暗い事を書かない方が良いのではないか
自分の弱さをさらすことで誰かが不快な思いをするのではないか
自分が恥をかくのではないか
変な奴だと思われるのではないか
誰かの同情を誘ってエネルギーを奪ってしまうのではないか
…という自分がいました。
人目を気にして、自分を飾ろう、隠そうとしていました。
ホントよく、他人軸で完璧主義のドツボにはまるなぁ(笑)
本当は、「これが私だ」と自分を理解するために書く事が一番の目的だったのが、いつの間にかカッコつけようとして、目的からズレていました。
私には、「誰かの気づきのきっかけになりたい」だとか「いつか誰かの役に立ちたい」という欲があります。
自分に期待をしはじめています。
でも、そんな文章が思いつかなくて、中断の連続です。
だからと言って、本当にやめてしまったら、「いつか」は来ない。
やめなかったら「いつか」は来る、たぶん。(と自分に言い聞かせています。)
完璧じゃなくていい。ショボくていい。今の自分を出すことが重要。
まずは、自分のために、自分を鍛える。
気持ちを切り替える手段をもつ。
最近、ハマっている事があります。
それは、「子供の頭に”ポンポン”と手を置く」事です。
朝起きた時、
幼稚園バスに乗る時や帰ってきた時、
テレビを観ている時、
姉弟ゲンカをしていて助けを求めてきた時、
癇癪を起した時、
etc...
事あるごとにポンポンしてます。
何となく、子供の気持ちが落ち着いてくるような気がします。
何より、私自身が子供にエネルギーを送れているような、母親らしくなれてるような、そんな気持ちになります。
姉弟ケンカや癇癪を起した時、
以前だったら、こっちまでイライラしてきて大変な事になっていました。(何度「いい加減にしなさい!」とハンニャの形相で言った事か…)
最近はイライラはしますが(笑)、ポンポンしてあげると、子供だけでなく私自身の気持ちも落ち着いてきます。(ハンニャになる事も少なくなった。)
大人にも効果があるようで、
「自分で自分の頭に”ポンポン”と手を置く」のも良いです。
いや、すごく良い! ハマってます。
何となく疲れた時、
気分が落ち込んでいる時、
不安になっている時、
息詰まり感を感じた時、
「大丈夫、大丈夫。」とか「頑張ってるよー。」と心の中で唱えながら、自分で自分をポンポンして応援してます。
それだけで、気分が切り替えられるというか、気持ちが落ち着き、「自分OK」みたいな感覚になります。
下の記事にも書きましたが、悩んでいる時間はもったいないです。
時間だけでなく、”悩むエネルギー”も、もったいない!
だからこそ、自分なりの「気持ちを切り替える手段」を常備しておくのは大事だな、と思います。
ほんと不思議だなー。
— ちはこ (@ym_3place) 2017年7月14日
「頭に手をポンポンと置く」だけで、気持ちが落ち着いてくる。
これ、根拠は分かりませんが、メンターから教えて頂いた事で、すごく良いです。
すごくお手軽で簡単なので、もし、周りに元気のない人がいたら、良かったら教えてあげてください。
(もちろん、その人の頭に”ポンポン”と手を置いてあげるのも素敵です!)
(余談)
「元気が出るから」と旦那にお願いしてやってもらったけど、「・・・?・・・」という感じで、何故か効果は感じられなかったが、笑いのタネにはなりました。
うらやましい人は『目標』
春に小さい本棚を購入しました。
最初は隙間があったのですが、最近、ほぼ埋まってきました。
それも、ほぼ読んでない本で(笑)
ずっと前から、自分の成長のため、生きづらさ解消のヒントがを探し求めて色んな本を読みたくて、買ってはいるのですが、読むスピードがおそかったり時間管理が下手なのか、中々読めてません(笑)
でも、これからは、一日1分でもいいから、一日に3回、読む事を習慣にしたいです。
私の生きづらい理由の一つとして、
「他人と比較してしまい劣等感を感じる」
という事を以前、書きました。
私は、
生き生きとしててハツラツとしてる人、
冷静で包容力のある人、
頭が良くて説得力のある人、
自分に軸を持っている人、
堂々としている人、
あるいは、多少、感情的になりながらでも口論できる人達、etc...
…と、挙げるとキリがないのですが、そういう人達を見ると、「うらやましいな~」と思うと同時に「劣等感」を感じます。
人といちいち比較して「自分はなんてだめんなんだ」と思っていました。
そして、ほぼ誰を見ても、うらやましいと思うようになり、自分の周り360°がうらやましい人だらけで苦しくなっていきました。
なので、本を読んで、人との比較は無意味であることを腑に落としたいけど、なかなか読めないので、この前メンターの一人に
「人と比較しないためにはどうしたらいいか?」
を尋ねました。
帰ってきた言葉は
「自分が、うらやましいな、と思う人は単なる『目標』です。」
だった。
その時は、(だーかーらー、その『目標』を見て劣等感を感じるんだけど…(°_°))、と内心思っていました。
でも、今朝、ふと思ったんです。
「私の周りは『目標』だらけだな。」
「アレ?…ということは、私は今まで、『目標』となるようなステキな人達とばかり出会ってきたのか( ☼д☼)
そして、今も『目標』に囲まれているんじゃないか( ☼д☼)」
そう思うと、自分がすごくラッキーで幸せ者だと感じました。
長年、他人と比較して、劣等感に苦しんできたけど、「羨ましいな」と思う人を「目標」と思ったら、私の周りは目標だらけだった。
— ちはこ (@ym_3place) 2017年7月12日
目標にしたい人達に囲まれて生きる、これって、今までも自分は幸せだったし、今も多分これからも幸せだという事になるんじゃ⁈( ☼д☼)
— ちはこ (@ym_3place) 2017年7月12日
これからは、「うらやましいと思っている人の何がうらやましいのか」、をハッキリさせて『目標』にしたいです。