ショボハピ☆主婦ちはこ成長ブログ

自分のショボさを見つめてこそハッピーになれる!

なぜ私は生きづらいのか?(その2)

昨日に引き続き、なぜ私は生きづらいのか?という事を考えてみます。

 

昨日、一番大きな理由は、

「自分の本音を言わず、本当の自分を抑え込んできたから。他人にとって良い人を演じてきたから。」

という事を書きました。

 

今日は、もう一つの理由を書いてみます。

 

それは、「他人と比較してしまい、劣等感を感じているから」です。

 

「他人と比較するのは意味がない事」だと言葉では知っていても、腑に落ちてないようです。

 

年齢や生まれた場所、出会ってきた人間、経験が違えば、人それぞれ違って当たり前..所まではきているけど、その先がどうも煮え切らない。

 

幼稚園で会うママ達やSNSを見ると、素敵だな、と思う一方で、それに比べて私は...と思ってしまう。

 

そして、自信がなくなる。

→何とか良く見せようとする。

→自分がわからなくなる。

→生きづらい。

 

という流れだと思います。

 

最近はなんとかその流れを断ち切ろうと、人と比較し始めた時点で、「また比べてる!」と気が付く事を頑張ってます。

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(気が付いた後、また、戻りそうだったら、とりあえず呼吸を意識してます。)

 

気が付く事で流れは断ち切られます。

 

その効果は、まだ自分ではわからないのですが、やってみてます。

 

でも、他人と比較するクセのおかげで、「あれ、なんかおかしい。」と、私は自分が生きづらい事に気が付けたのだろうと思います。


早く楽になりたい!

 

 

 

なぜ私は生きづらいのか?

なぜ私は生きづらいのか?を考えてみました。

 

理由は一つではないと思ってます。

 

一番大きいのは、多分、自分の本音を言わず、抑え込んでいるからだろう、と思います。

 

人とぶつかるのが怖くて、

他人にとって、良い人であるために、

当たり障りのない事しか言ってこなかったからだろう。

そのうちに自分の本当の声がわからなくなったからだろう。

 

今思うと、小学校高学年くらいからでしょうか、徐々に喉の奥あたりが詰まる感じがしてきて、苦しくなって、脈は正常だけどドキドキするようになりました。(最近は少しずつ良くなってると思います。)

 

それがニュートラルだったから、そんなものだと思って生きてきました。

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眠る部屋もある。

食べるのにも困っていない。

家族もいる。

少ないけど友達もいる。

ほしいものがあれば、高いものでなければ買える。

旅行もお金を貯めれば行ける。

テレビをつければ面白い番組がやっている。

音楽も自由に聴ける。

本やマンガを開けばおもしろい。

 

楽しい事、いっぱい!!♡

何の不自由もない。

 

それなのに生きづらいなんて、おかしいでしょ、十分でしょ、ありえない。

 

そうやって目を背けて生きてきました。…が、去年、やっと気が付きました。

 

「あれ、なんかおかしい。」

「私、変かも。苦しいかも。自分嫌いかも。」

「あれ、もしかして、生きながらにして死んでた?」

「このままでは本当に訳が分からないうちに死んでしまうな。」

「...やばい。」 

 

いい加減、良い人をやめたい。

けど、なかなか抜け出せない。

でも試行錯誤していきます!

ニホンゴ、ウマクナリタイ。

日本人だけど、「日本語がうまくなりたい」です。

 

ブログを書き始めて、前から薄々感じていましたが、

・自分の日本語のバリエーションの少なさ

・如何に自分が決まりきった言葉しか話して来なかったか

が身に沁みます。

 

話上手な人がうらやましいです。

 

コミュニケーションが上手になりたい訳ではないです。

「ありうがとうございます」や「すみません」の一言で終わるのも何だか寂しい場合もあるけど、気持ちが伝われば、片言でも構わないとも思います。

 

ただ、肝心な事や、誰かににどうしてもこれだけは伝えたいという時に、何か言いたいんだけど、気持ちを表現する言葉が見当たらず、その時を通り過ぎる...という時がこれまでに時々(いや、たくさん)ありました。

 

日記やブログを書くことは、自分を客観視できたりする以外にも、語彙を増やすのにとても良いそうです。

 

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私自身、ブログを始める前は、人と話す時は、考えながら手探りで話す感じ。

 

ブログはまだ20件ほどですが、前よりはスムーズに言葉が出てきてるようです。

今も考えながら手探りで話す感じですが、「少しずつ良くなってきてるよ」とある方から言われました。

 

うれしいなぁ~♪

 

ここ数日、まーた、変な事書いたらダメだとか、恥かくんじゃないかとか、思い始めて正解を探して、ブログを更新できませんでした。

 

「良くなりたいか、現状維持がいいか。」

「やりたいか、やりたくないか。」

「やって後悔するか、やらずに後悔するか。」

 

...を考えて、投稿しようと思いました。

 

いつか、楽に生きられるようになる、その時のためにも、今日も書き書き。

笑って死にたい。

ネットサーフィンをしていて

「ないものばかりに目を向けて不満を持つのではなく,今あることに目を向けて自分の幸せに気が付きましょう!」

...みたいな事が書かれていました。

 

モヤッとしました。

 

確かにそうなのかもしれませんが、今の私には受け入れられませんでした。

 

大好きな家族と暮らし、みんな元気で、狭い賃貸住宅ですが住める所もあり、確かに幸せです。

 

でも、今の自分のまま生きていくのはもう嫌だと思っています。耐えられません。

 

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欲張りと言われればそうかもしれません。

 

でも、

 

人の顔色を伺いながら、

言葉を選びながら、

本当の自分の気持ちが言えないまま、

言いたい事が言えないまま、

当たり障りのない言葉ばかりを選びながら、

...

 

生きていくのはもうごめんだ! と思ってます。

 

 じゃあ、なりたいように生きればいいのだけど、これがまた恐くて、恐くて、恐くて、なかなか言葉が出てこない。

 

でも、このままだったら死を迎える時に後悔するでしょう。

反対に、変わって生き生きと言いたい事を言って生きていけたら、きっと笑って死ねるだろう、と思います。

 

だから、どうしても笑って死にたいので、その思いだけは書いておきます。

 

 

始まり

最近、ようやく自分の夢について考えてます。

 

夢の一つは「ショボさ選手権」をやる事です。

 

ショボさなら任せとけ!ショボさ誰にも負けないもんねー!こんなショボい事でめちゃめちゃ落ち込んでまーす!という人を集めてやってみたいです。

 

ショボすぎて人には言えない事を吐き出して、あ~スッキリした!と言えるような、公衆トイレ的な事をやってみたい。 

 

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私は、人前で「私は何故かいつも不安です。自分が大嫌いです。」とぽろっと言葉にして吐き出せた時、涙が出てきました。

 

そこが始まりだったような気がしています。

 

何の始まりかは、言語化できませんが、自分のタマシイのような物の「助けて」という言葉に、初めて素直に身体が反応してあげられたような気がしてます。

 

「ショボさ選手権」で、誰かの始まりのきっかけ...まではならないにしても、始まりのホップ・ステップ・ジャンプの中の「ホップ」の役を担えたら最高だな、と思います。

 

子供のように生きる

今日は実家に行き、私の子供と、私の弟の子供とで遊ばせていました。

 

いつもなんですが、仲良く遊んでいたかと思ったら、次の瞬間にはケンカになっていて、おもちゃの取り合いで、今に血が流れるのではと思える程の、本気の真剣勝負です。でも、そのまた次の瞬間にはケタケタ笑っていたり...。

 

見てたら面白い。(ハラハラもします(笑))

 

どんなにケンカして泣いたとしても、帰る時には、なごり惜しそうに「またね」と言って、タッチでお別れです。

 

お別れの後は、寂しがり続けるのかと思えば、恒例となったお土産の”海苔もち”をおばあちゃんからもらって「ワーイ!」と言って車に乗り込みます。

 

切り替えが早いです。

 

すごいな、と思います。 

 

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私は「怒り」とか「悲しみ」という感情を人前で出すのが苦手です。

 

特に「怒り」の方は大の苦手です。

 

人とぶつかるのが恐いんです。

 

だから、人とぶつからないように、自分を下に下に置いてきました。

 

でも、人とぶつからなくなる代わりに、自分というものがわからなくなってきました。

そして、どうしたらいいかわからなくなって、取り敢えず笑っとけ、ってなって、変な愛想笑いをするようになったのでしょう。

 

子供達の、一瞬一瞬、感情を出しきり、最後は「またね」と言って別れる姿は、清々しいな、と思います。

 

人とぶつかる事を恐れず、必死に自分の大事なものを守ろうとする姿も、素晴らしいし、見習うべき所だな、と思いました。

完璧主義は生きづらい

昨日はブログを更新できませんでした。

 

初めは、”何でもいいから自分の思っている事のはけ口”のつもりで書いていましたが、

いつの間にか、欲張ってしまって、

「カッコいい事を書かなければ」とか「変な事書いちゃいけない」

と無意識の内に考えるようになっていました。

 

書くからには、いい記事を書きたいと思います。

 

いい記事って何でしょう?

 

私の中では、

「気持ちに嘘がない。ありのまま。」

「気づきや生きるヒントが書かれている。」

ものが良い記事。

 

でも、「気づきや生きるヒント」というのは、残念ながら思い浮かばない日もあります。

 

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私は完璧を求める傾向があります。

頑張りすぎる傾向があります。

自分では全然気が付きませんでした。

人から言われて、「あ、そうかも」と気が付きました。

 

完璧を求めると、動けない。昨日の私のように(笑)

 

そして、生きづらい。

 

「気づきが無い日でも、気づき無し」

「調子が悪い日でも、調子が悪いなりの何か」

...と、ありのままを出したいです。

 

完璧主義はもう疲れました。

昨日より1ミリでも動けたらOK!